『古屋誠一 メモワール. 愛の復讐、共に離れて… 』

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最も愛する者の死を、
どうやって受け止めて、
残された者は生きていくのだろうか。

残された者がもし、何らかの「表現者」であったなら、
どういったものが表され、
また、表すこともなく終わっていくのか。




私の父の三回忌を今年迎える。

父が死んだ時、カメラを離さず
ずっと撮影し、その時のネガで写真展を開催した。

多くの方の励ましと応援で成り立った展覧会であったが、
もちろん、いろいろなご意見やご感想をも賜った。


忘れられないのは、

「どんなにその人にとって「一大事」な事柄であろうとも、
超個人的な写真を、「公な場=展覧会」で発表する事は
見る者には苦痛でしかない。」

と、当時縁のあった方に言われたこと。


言わんとすることは良くわかる。

どんなに結婚式の二人が素敵でも、
どんなにあかちゃんが可愛くても、
他人のそういった写真を
何枚も何枚も、ずっとずっと見続けさせられる、その苦痛。

私が撮影した写真であるのだから、
何もかも稚拙であたりまえで、

「ごもっともです…」としか
言えはしなかった…







古屋誠一の妻、クリスティーネは
一人息子と、夫である古屋を残して自殺をした。


息子の誕生から成人までの、
妻と過ごした、短い時間を、
過ごした家の、過ごした街の、旅した街の風景を、
丁寧に丁寧に撮影し、編纂されてきた。

その「メモワール」もこれで最後だと言う。
だからタイトルには「.」が付いているとの事。


精神を病み、彼女は自らの命を絶った。
その彼女が、写真の奥で私を見ていた。

日々、撮影されたその姿。
きついような眼差し、憔悴したような面立ちに
来る「死」を予感してしまう。

その時、彼女は生きて、
病む前には、自然で優しい笑顔をカメラに向けていた。

伊豆の漁港で撮影された、
カラー写真がとてもとても印象的だ。

明るい自然光の下で、無邪気に笑っていた彼女。
そうして、ラストカットは笑顔で締めくくられている。



愛する者が自分よりも先に死を迎えたとき。
超個人的な悲しみの果てに、表されたもの。


鑑賞する私は、
心が痛んで、目頭が痛んで、
実際にちょっと涙が出てしまったが、

決して「苦痛」である筈がない。

当事者の苦しみを推し量る事は出来ても、
その傷は当事者だけのもの。

だが。

「公の場=展覧会」と言う形式で十分に昇華しうる
それが才能である、のであろう。







またいつか。
「父」の展覧会を開きたいな、と思う。

私には絶対的に「昇華する才能」はないけれども、
「そう在りたい」と願う気持ちは本物であるから。




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古屋誠一 メモワール.
 「愛の復讐、共に離れて…」

会期: 2010年7月19日(月・祝)まで
会場: 東京都写真美術館









































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by jadegreen_garden | 2010-07-17 23:09 | Exhibition


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